写真家が見た能登の記憶 石崎奉燈祭と震災後の風景
世界を巡る才人が旅先で出会った、忘れえぬ光景を綴る。今回は写真家で映画監督のこの人。
写真家・映画監督 宮澤正明
1985年に赤外線フィルムを使用した処女作「夢十夜」で米国ICP新人賞。伊勢神宮第62回式年遷宮公式写真家。広告、雑誌、ファッションの分野でも幅広く活動し時代を代表する人々を撮影。石川県にも足繁く通い、現地の風景や名所を写した作品多数。映画『うみやまあひだ』『書家、金澤翔子 共に生きる』を発表。
私はこの約6年間、石川県を撮影してきました。金沢、加賀、白山、そして能登。この4つのエリアの四季折々を撮り続けてきたのです。なかでも、能登地方は古き良き、日本人の心のふるさとのような場所、それが私の率直な印象でした。
山があり、海があり、そして里がある。土地に暮らす人々が自然と共存しながら長年培ってきた文化、伝統、そして今回、掲載していただいた「石崎奉燈祭」のような祭りがある。写真家の心を触発するような、素晴らしい日本の原風景がそこかしこに残っている、それが能登でした。
その能登を今年1月、大地震が襲いました。震災後、私は春と夏の2度、改めて能登を訪問し、変わり果ててしまった風景を目まの当たりにしました。“ビフォー”を撮影した自分が、“アフター”の現場に立ってみると、やはり、とても大きな寂しさ、悲しみが込み上げてきました。見附島などは大きく崩落してしまい、往時の姿をほとんど残していませんでした。自然災害ですから、如何(いかん)ともしがたいことではありますが、あれほど美しかった景観があそこまで破壊されてしまうというのは、たいへんなショックでした。
いっぽうで風景は様変わりしてしまっても、そこに暮らす人々の力強さに変わりはなかったように思います。今年春、未だ水道も復旧していなかった能登町で出会った高齢の女性は「仕方ないよね」とほほえ微笑みすら浮かべて、自然の脅威を受け入れ、受け止めていたのです。もちろん、もっと大きな悲しみを抱えた方にもたくさんお会いしました。でも、もう一度立ち上がる原動力や、災害に負けない逞(たくま)しさを、私はあのときの老婆の横顔に垣間見た気がしたのでした。