商売繁盛!群馬の妖怪 「分福茶釜」が愛される理由
茂林寺の参道に並ぶ21体もの大きなタヌキ像。その先には本堂へと続く茅葺(かやぶき)屋根の山門がある。茶釜のタヌキが曲芸を見せたのはおそらくこのあたり?
日本の昔話の中で生き続ける妖怪、分福茶釜。茶釜に化けたタヌキが曲芸をして人々を沸かせたという、愛すべき物語だ。群馬県館林(たてばやし)市の茂林寺(もりんじ)では、その伝承のもととなった、注いでも注いでも無尽蔵に茶が湧いたという伝説の茶釜が、本堂の宝物室にうやうやしく展示されている。分福茶釜の「分福」は、茶釜が人々に茶という福を分け与えたことに由来する。
茂林寺は1426年、大林正道(だいりんしょうつう)大和尚と僧の守鶴(しゅかく)によって開山された。守鶴が茶釜を手に入れ千人に茶を振る舞ったのが1570年、寺を去ったのが1587年。とんでもなく長生きした最後の最後にうっかりタヌキの化身であることがばれ、民話に繋がった。参道ではずらりと並んだ大きな信楽焼のタヌキ像に出迎 えられ、境内には奉納されたと思しきタヌキの置物が無数にある、まさにタヌキづくしの寺。茶釜が展示されている宝物室には、分福茶釜にちなんだ造形物や掛け軸などの芸術品、書籍や文献が所狭しと並び、1〜2時間ではとても全てを見られないほど充実している。
茂林寺に納められている茶釜の周囲は120cm。想像していたよりも大きく、大人が抱えられるくらい。宝物室の拝観料や開室時間は茂林寺公式サイトを参照のこと。
分福茶釜については無数の絵本が出版され、ネットでも何本もの動画が見られる。そして物語のアレンジは驚くほどバラエティに富んでいる。
伝承が世間に出回り始めたのは1700年代。子供向け絵本の赤本『草双紙』に登場した。原典のひとつである『日本昔噺文福茶釜』(1894年・巖谷小波)を要約すると、「古道具屋が寺から買い取った茶釜が夜に動き出し、化物ゆえにこらしめようとしたところ、自分はタヌキで曲芸を披露するから助けてくれと命乞いされる。見せ物にしたら大儲け、茶釜とお金は寺に戻された」というもの。各伝承に統一される姿は「茶釜から手足が生えたタヌキ」。さらにタヌキといえば、ということで昭和以降、傘を被り徳利や通帳などを持つ滋賀県甲賀市の信楽焼のタヌキ像も加わった。
分福茶釜が愛される理由はハッピーエンドのシンプルな物語、そしてタヌキの持つ福々しい姿にある。館林ではタヌキをシンボルにした食品や雑貨が数多く見かけられ、館林市の公式キャラクターもタヌキだ。しかし昭和の時代にお ける分福文化の盛り上がりといったら、それは華やかだった。宝塚歌劇が『ミュージカルコメディ文福茶釜』(1951年・花組)を上演。東宝のスターがそろい踏み、二つのお寺が 本家合戦を繰り広げる映画駅前シリーズ『喜劇駅前茶釜』の公開(1963年、茂林寺もロケ地として登場する)。そしてなんと『分福ヘルスセンター』という、今でいうスパリゾートとしての一大娯楽施設までが館林市に建造されて いた(1957〜1985年)。当時の写真から人々の様子を見ると、大きなテーマパークがなかった時代にどれほどの 楽しみを提供していたかがよくわかる。
茂林寺参道入り口にある土産物店『福陶庵』の文鎮。装飾なくこぢんまりした佇まいがよい
同じく『福陶庵』オリジナルの『折みそせんべい』。ほんのり味噌味、甘さ抑えめで歯応えあり
『田月堂』の『分福最中』は茶釜の形で小豆と白いんげんの取り合わせ。渋い茶に合う定番土産
350余年の歴史を持つ『三桝家総本舗』の『麦落雁』。小粒ながら麦の風味が口いっぱいに広がる。図案は文福茶釜、椿、三つの桝
『花山うどん』館林駅前の本店限定メニューは『文福茶釜の釜玉うどん』。全店で食べられる群馬名物 の幅広麺、鬼ひも川うどんは食べ応え満点。
さて館林の老舗『花山うどん』では、たぬきをデザインした器で観光客を喜ばせている。駅前の本店に訪れたときには意外にも高校生だけのグループが2組いて、聞いてみると県外の学生だった。授業が早く終わる日のため友達同士で誘い合わせてやってきて、ちょっとよそ行きな味を楽しんでいた。
実は館林市は「うどんの里」と銘打ち内外にアピールしている。土が肥沃(ひよく)で冬の雨が少ないことが小麦の生育を助け、沼や池が多く急激に乾燥しない気候はうどん作りに適しているとされている。
うどん店は製麺所を持つ老舗、手打ちが売りの個人店、その他に分けられる。老舗はサブメニューに工夫を見せ、内陸ならではのナマズの天ぷらが好評を博している店もある。コンビニには温めてすぐ食べられるカップ入りのうどんが並び、どれもしっかりした醤油ベースの味が群馬らしい。
『UDON BISTRO千代田饂飩®』の『ごまわせ』(上)は混ぜるほどにごまが香り立つ忘れ難い一品。『かるわなーら®』(下)は濃厚な卵黄と厚切りベーコンによる看板メニュー。
手打ち店の中では、2015年創業の『千代田饂飩』が新風を巻き起こしている。ひとくちいただけば同行者全員が顔を見合わせて目を見開く。絶妙なバランスのコシ、素材が持つ深く濃い味わい、和風にこだわらない身軽さ。店主一人で毎朝うどんを打ち、メニュー開発から店内のインテリアまで手がけ、館林のうど んの新たなスタンダードを作ろうと挑んでいる。
館林が最も賑わうのは春。花山町の『つつじが丘公園』では大規模な「つつじまつり」が開催され、数十万人の観光客が詰めかける。茂林寺の参道入り口に数軒構える土産物店もまた、活気を見せる。ある店の店主によると、4〜5年前までは実際のタヌキもよく顔を出していた。しかし最近は開発が進み、その姿がなかなか見られなくなり、少し寂しいそうだ。妖怪を追いかければ美味しいものや絶景に辿りつく。これからも彼らにふわふわとついていこう。
よいお年を!
森井ユカ
立体造形家/キャラクターデザイナー2022年5月47都道府県の妖怪を立体化してご利益を設けた個展『ニッポン47妖怪録』を開催。著書多数。
出典:東京大学附属図書館蔵『文福茶釜由来』榎本千賀/青龍山茂林寺寶物縁記(青龍山茂林寺)/茂林寺公式ホームページ/館林市史 特別編第5巻 館林の民俗世界(館林市)
取材・文・造形 森井ユカ
撮影 五味茂雄
編集 中野桜子