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デフリンピック2025 目指すは地元東京での金メダル〜翼の流儀

デフリンピック2025 目指すは地元東京での金メダル〜翼の流儀

ANA REPORT 翼の流儀

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デフバドミントンという競技がある。聴覚障がいのある人たちが参加し、「打球音のない世界のバドミントン」と呼ばれる。ANAには採用の業務に携わりながら、この競技で世界の頂点を目指している社員がいる。2021年に入社した伊東勇哉だ。東京で開催される2025年の晴れ舞台を目指して練習を続ける伊東が見据えているものは何か――。

障がい者採用の仕事に関わりながら競技に打ち込む

「いま、いちばんの目標は来年、東京で開催されるデフリンピック。地元で開催されるその大会で、金メダルを獲得することです」ユニフォーム姿でラケットを構えた男性は、こう言って目をキラキラと輝かせた。

この男性は、ANA人事部の伊東勇哉(いとうゆうや)。ANAは、入社から退社までの一貫した人材育成を目的とした「ANA人財大学」を2007年に設立した。伊東は現在、その人財大学に籍を置いている。

「エキスパートスタッフ職として、弊社を志望する障がいがある人たちの、採用担当をしています」

じつは、そう話す伊東自身も「両耳全ろう」という重い障がいがある。

「等級は、聴覚障がいでは最も重い2級。補聴装具の人工内耳がなければ、飛行機のジェットエンジンの音すら、聞こえないんです」

障がいを抱えながら、ANA社員として日々、フルタイムの仕事に勤しむ。そのいっぽうで、彼には「デフバドミントン日本代表」というもう一つの“顔”もある。

「練習は終業後、19時から。ANAのバドミントン部であったり大学の同期と個別練習したり。強豪クラブの練習に参加することも」

2022年デフリンピックで団体準優勝 

デフバドミントンとは、耳が完全に聞こえない、あるいは一定程度、聞き取りづらいといった、聴覚に障がいのある選手たちによるバドミントンのこと。

伊東はその日本代表として、数々の国際大会に参戦している。“聴覚障がい者のオリンピック”と称されるデフリンピックにも出場。2022年、ブラジルで開催された前回大会では、混合団体で見事、銀メダルを獲得した。

「来年11月のデフリンピックは地元東京での開催ですから、さらに上の成績を目指したい。まずは、来年2月の代表選考会。そこでしっかり結果を出すために、いまから徐々にモチベーションを上げていきたい、そう思っています」

中学でバドミントンと出会う 懸命に練習するも限界も感じた

1998年、健常者の両親のもと、埼玉県で生まれた伊東。生まれつき、その耳は音を聞き取ることができなかったという。

「本当に幼いころは、音のない世界というのが当たり前なんだと思っていたんです。でも、幼稚園に通うようになると、たとえば先生がみんなを呼んだとき、自分だけ置いていかれるようなことがたびたびあって。『ああ、音が聞こえないというのは、こんなに不便なんだ』と気づかされました」

伊東は補聴装具をつけて、地元の公立小中学校に通った。

「補聴装具をつけたとしても、健常者と同じように聞こえるわけではないので、やはり不自由は感じました。とくに補聴装具は水に弱いので、プールやお風呂といった場所では外さないといけなくて。そういう場面では本当に何も聞こえなくなってしまうので、コミュニケーションには苦労することもありました。でも、耳のことで友人たちからいじめられたり、からかわれた記憶はありません。ただ、みんなの会話にうまく入れなかったりして、少し寂しい思いをしたことはありました」

中学校に進学した伊東は、バドミントン部に入部した。

「じつは、僕の父は中学から社会人になるまで、ずっとバドミントンをしていて。高校時代には都内でもトップクラスの強豪校のエースでした。だから、僕がバドミントン部に入部すると、父はとても熱心に指導してくれて。それで僕もバドミントンに意欲的に、懸命に取り組むようになったんです」

しかし、聴覚の障がいというのは決して小さくないハンデだ。中学では区大会は勝ち抜けたものの、その上のブロック大会出場が精一杯。高校でも、成績は都大会のベスト8止まりだった。

「補聴装具をつけていても、片方の耳は何も聞こえません。コンマ数秒のなか、判断が迫られる競技なので、ちょっとでも聞こえない、わからない、というのは動きの遅れにつながってしまうんです。一生懸命、練習に打ち込みましたが、やはり健常者の選手に追いつき勝利するというのは、簡単なことではありませんでした」

高校3年。「これ以上大きな舞台に立つことは望めない」、そう考え、競技生活は高校までと覚悟を決めた。ところが、その伊東のもとに、ある誘いが持ちかけられる。それは“音のない世界のバドミントン”からのものだった。

音の情報がないなかでパートナーの動きを「予測」する

「Y.ITO JAPAN」と染め抜かれたユニフォームで、コートを舞う(2023年、ブラジルで行われた第6回世界デフバドミントン選手権)

「そのときまで、僕はデフバドミントンという競技の存在を知りませんでした。だからこそ、もう選手は引退しよう、そう考えていた。でも、もしかしたら、このデフバドミントンという競技なら、もっと上を、世界を目指せるかもしれない、自分が輝ける場所があるかもしれない、そんなふうに思って心が躍りました。大学に進んでも、社会人になっても、デフバドミントンの選手としてやっていこう。そう思ったんです」

デフバドミントンの基本的なルールはバドミントンと同じ。シングルス、ダブルスとも、バドミントンと同じ広さのコートを使い、1セット21点の2セット先取によって勝敗を争う。ただ、公平性を保つため、補聴装具をつけることは禁じられている。選手は音のない、聴覚による情報がまったくないなかで、試合に臨む。

「バドミントンでは当たり前に聞こえるシャトルを打つ音やコーチの声も、デフバドミントンでは一切、聞こえません。とくにパートナーの声や足音が聞こえないダブルスはたいへんです。自分がコート前方にいるとき、背後にいるパートナーがどんな強さのショットを打ったのか、その後、パートナーがどこに移動したのか、まったくわからない。それはやはり怖いです。デフバドミントンを始めた当初は、ゲーム中にパートナーの体と衝突してしまうことがたびたびありました」

それでも、競技生活を続けトレーニングを重ねていくうちに「だんだんと感覚が掴めてきた」と伊東は話す。

「パートナーの動きが読めるようになってきたんです。この人は、打った後、こちらに動くだろうとか、その次はこっちに行くだろうと。バドミントンでは、相手選手の動きを読むことを戦略上、当然するわけですが、デフバドミントンでは、味方の動きも読み取らないと、いい結果につながらない。パートナーの動きを読みながら、自分が取るべき最適なポジションはどこなのか、瞬時に判断しながらプレーを続けるんです。観客にとっては、そういったところも、見どころの一つだと思います」

第6回世界デフバドミントン選手権大会では混合団体で準優勝、男子シングルスと混合ダブルスではベスト16に

「先を見通す力」を仕事で生かして活躍したい

伊東は2021年4月、ANAに入社した。

「幼いときから、飛行機はもちろん、電車やトラックなど乗り物が大好きでした。さらに、大学では人文地理学を専攻し、交通システムについて学んだので、公共交通機関で働いてみたいという思いから、志望しました」入社後は先述のとおり「人財大学」で採用を担当している。「入社希望の学生さんとやり取りをしながら、志望者のためのイベントを企画、運営したりしています」

伊東には将来、やってみたい仕事があるという。それは……。

「今日、同席してくれた上司にはすでに打ち明けているんですが、『レベニューマネジメント部』の仕事をしてみたいんです。自分の持っている先を見通す力、読み取る力を生かしてみたいんです」

レベニューマネジメント部では、適切な座席管理や運賃コントロールを通じて、旅客収入の最大化を目指す業務を行なう。過去の実績やマーケットのトレンドなどを多面的に分析しながら、どの路線にどんな運賃の座席をどれだけ配分するかといった価格設定を担う、重要な部署だ。

伊東の上司でANA人財大学のマネジャー・植野功一は言う。

「アスリートとして培った、一般の人にはない発想や、ものの見方というものが、生かせる部署かもしれません」

「多少の不自由はあっても、工夫すればなんとかなります。職場でも、同僚の人たちが快くサポートしてくれて楽しく仕事ができています」

一昨年、ブラジルで開催された夏季デフリンピック大会。コロナ禍で様々な制限がある中、日本代表として出場した伊東は男子ダブルス、混合ダブルスでともにベスト8に進出。さらに、混合団体では、準優勝を果たした。

「銀メダルを持ち帰ったとき、初めて父から『いままで、よく頑張った』という褒め言葉をもらって……、グッと、こみ上げるものがありました。ラケット代やシャトル代なども、ずっと両親が支援し続けてくれて、ここまでこられたので、やっと、少しは恩返しができたのかな、そう思っています」

来る2025年。夏季デフリンピックは東京で開催される。

「デフバドミントンの認知度も高まって、世界的にも競技人口が増え、ライバルはいままで以上に強くなっています。それでも、家族はもちろん、ANAの同僚のみんなにも、ぜひ応援に来てもらいたい。皆さんに見守られながら、金メダルを勝ち取りたいんです」

撮影 加治屋誠 
取材・文 仲本剛