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離着陸最難関の八丈島 95%の就航率を支えるプロフェッショナルたち~翼の流儀

離着陸最難関の八丈島 95%の就航率を支えるプロフェッショナルたち~翼の流儀

ANA REPORT 翼の流儀

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「やはりショートファイナル、300フィートから先が、かなりラフでした。『ベリーラフ』ということでいいかと思います」

八丈島空港に到着したばかりのANA1893便の機長は、空港の運航支援室に立ち寄ると、デブリーフィングでこう告げた。「ベリーラフ」とは気流がひどく乱れている状態を表す。
この報告を受けていたのは「八丈島空港ターミナルビル(以下、HAT)」で運航支援を担う沖山博仁だ。

「ゴー・アラウンドも、考えましたか?」

着陸を諦めて再上昇することを考慮したかと質問を返した沖山。機長は「いや、そこまでではなかった」と話し、こう続けた。

「ただ、かなりエアスピード(対気速度)の変化が大きいのは感じましたね」

この八丈島空港は、離着陸が格段に難しい空港として知られている。沖山は言う。

「離着陸の難易度を表す『飛行場区分』がAからDまであります。八丈島空港はD空港とされています。国内の他の空港は、この区分ではすべてA空港。ここが、いかに難しい空港か、それだけでもおわかりいただけるのではないかと思います」

生まれも育ちもここ八丈島という沖山。今回は、故郷の空の玄関口であると同時に、国内屈指の“難所”八丈島空港の安全を支える“プロフェッショナル”沖山の仕事にスポットを当てる。

「なぜ欠航が多い?」運航支援に興味を持つように

「もともと飛行機や航空業界に、特別な思い入れも、さしたる興味もなかったんですよ」

沖山はこう言って笑う。

沖山も通った島で唯一の高校・都立八丈高校。毎年、ほとんどの卒業生が、卒業と同時に島を離れていく。「それが基本なんです」と話す沖山自身も、東京23区内の専門学校進学を希望していた。

「でも、家庭の事情で進学が叶わなくなってしまって。それでも、島を出て就職しようと考えていたところ、担任の先生が八丈島空港に求人があると教えてくれて。『ここで働いて、それから島を出ても遅くはないんじゃないか』と助言してくれたんです」

こうして沖山は1997年、HATに入社。当初はグランドハンドリング業務に従事。

「入社当初はグランドハンドリングを担当しました。最初はお客様からお預かりした手荷物を、個数を数えながらカートに載せる取り下ろし作業。あとは、まだ車の運転免許も持っていなかったので、先輩が運転する車の誘導役を。誘導の笛をリズムよく吹く練習、頑張りましたよ」

入社4年後には兼務する形で、旅客業務も担うように。搭乗客と面と向かって接するようになって、沖山はあることに思いが至るようになる。

「八丈島は他空港と比べて、とりわけ発着便の欠航が多いんです。『条件付き運航』という形で出発しても、結局引き返してしまうことも少なくない。欠航となれば、お客様からのクレームを受ける機会もありますし、旅客担当としては申し訳ない気持ちにもなります。だから『なぜ欠航が多いんだ?』と疑問に思い、運航支援をしている先輩にその理由を尋ねました。そこで教えられたのは『ここは離着陸がとても難しい空港』ということ。そのころから空港の仕事に本当に興味を持てるようになりました。そして、着陸が難しいとされるこの空港で、運航支援をやってみたい。そう思うようになりました」

運航支援業務とは乗務員、それに羽田空港にいる運航管理者と打ち合わせをして、安全に飛行できるルートや高度、気象状況などの情報を提供する仕事。飛行中も常に天候や離着陸に関わる最新情報を提供、助言することで、文字どおり運航をサポートする。

沖山は2003年6月、ANAの運航支援者資格を取得。八丈島空港の運航支援業務に就いた。

気流の乱れや濃霧が着陸を困難にする

一年を通して温暖な気候の八丈島。かつては「東洋のハワイ」とも呼ばれ、八丈町とマウイ島(郡)とは姉妹都市提携を結んでいる。そんな穏やかな島の表情とは裏腹に、その玄関口・八丈島空港は険しい一面を持つ。

滑走路のすぐ南側にそびえる三原山。写真のように複雑な山容、プリーツ状に入りくむ谷を越え吹き下りる風が、気流の乱れを生む

八丈島空港の離着陸を難しくしている最大の要因、それは滑走路を挟むように南北にそびえる二つの山だ。

「北側に標高853メートルの八丈富士、南側に700メートルの三原山があります。とくに三原山は山容が複雑なので、南風になると、山から吹き下ろす風で気流がすごく乱れるんです」

国内各空港では、着陸を制限する横風の風速が定められている。

「それは航空機メーカーが決めたもので、滑走路に吹く横風の風速が一定数値を超えたら『着陸はできません』というもの。それが、八丈島空港の場合はANAで定めたその制限値が360度、全方向で存在するんです」

八丈島空港への航路を阻むものは、気流の乱れだけではない。

「視界不良での欠航も少なくありません。とくに梅雨時になると、濃霧が発生し、視界不良になる。上空約100メートルで、パイロットが滑走路を視認できなければ、着陸できません。その結果、飛行機が引き返すことが多発してしまうんです」

濃霧が発生した場合、沖山はときに、八丈島空港ならではの独特な手法で確認を取るという。

「まず、無線で機長に、上空で待機できる燃料の残量を確認して、たとえば『30分は大丈夫』となれば、『10分ほどお待ちください』と告げ、車に飛び乗り滑走路の端まで走るんです。そこまで行って、雲や霧の状況、見通し距離を実際に自分の目で見て確認した上で『あと数分で滑走路が目視できるようになる可能性があります。進入いかがでしょうか』と無線で機長に助言するんです。そのうえで、着陸の可否を最終的に機長が判断します」

島の天候は変わりやすい。それでもなお、キャリア20年の沖山ですら、見通しを誤ってしまうこともある。

「かつては羽田―八丈島便は1日4往復(現在は3往復)。そのときは運航管理者との打ち合わせのなかで4便すべて、条件付き運航で出発してもらいました。でも、結果的に全便が着陸できずに羽田に引き返すことになってしまいました」

羽田からの便が着陸できなければ、八丈島発の便も欠航になる。沖山は悔恨混じりに打ち明ける。

「出発を心待ちにしていたお客様たちのため息が、いまにも聞こえてきそうでした」

できるだけ顔を合わせ 信頼関係を築いていく

運航支援業務に従事するようになったのちの2009年、沖山は運航管理者の国家資格も取得した。HAT初の快挙だった。

機体の状態、乗客の貨物の重量バランス、天候、目的地の状況などあらゆる情報を把握し、安全なフライトプランを作成するという「ディスパッチャー(運航管理者)」を務めることができる資格だ。その資格を活用すれば、かつて希望していた、島外での仕事も叶うことができたのではないか。

「いまはそれは考えていません。運航管理者の資格試験は、『チャレンジ』として受験しました。難しい空港と言われる八丈島で運航支援をやっているなら比較的楽に合格できるんじゃないか、などと楽観的に受けたんですけど、とんでもなく難しかった(苦笑)。でも、そこで得た知識が、運航支援業務に活かせています。また、自分がこの仕事を続けるうえでの自信にもなっています」

八丈島空港は、とても小さな空港だ。HATの職員は、全部で27名。多くの者が複数の仕事を兼務し空港業務を回している。沖山自身、現在も運航支援とグランドハンドリングを兼務しながら、仕事を続けている。

「羽田などの大きな空港では、運航支援業務は、重量のバランス管理、時間管理、情報を集約する総括業務、それに運航支援者と、4つに分業されます。八丈島ではそれを一人でこなします。その結果、マルチプレーヤーになることができるですが、スペシャリストを目指すには他よりも時間がかかるかもしれません」

とはいえ、八丈島空港という特異な環境下では、他ではできない経験を得られるのは事実。沖山が運航支援に従事する以前、八丈島空港の就航率は90%だった。それがいまでは、95%まで改善している。「飛行機の性能が上がったのと、進入にGPSが導入されたから」と沖山は話すが、きっとそれだけではない。

こんなエピソードがある。場面は羽田空港を出発する前の機長と運航管理者とのブリーフィング。欠航か、条件付き運航かで意見が分かれていた時のことだ。

「運航管理者が『八丈(島)の運航支援者は大丈夫だと言ってます』と告げると、機長が聞いたそうです。『それは誰が言ってるのか』と。そこで、運航管理者が私の名前を伝えると『沖山さんがそう言うなら行こう』と言って、出発したと。そういう話は幾度も、聞いたことがあります。今の時代、風速などのデータ共有だけならいくらでも簡単にできますが、正しく判断を下してもらうためにも、日ごろ、運航管理者や機長とは、できるだけ顔を合わせ、信頼関係を築くことに努めています」

到着したばかりの機長とのデブリーフィング。

照れくさそうに打ち明けた沖山。そう、彼をはじめHATのスタッフたちはみな、八丈島のスペシャリストなのだ。

「島民のなかには、東京の病院に通院するために利用する人もいます。そういう人たちのために飛行機をつつがなく運航するというのが私たちの仕事。故郷・八丈島への貢献になっていると自負していますし、それが私のやりがいでもあるんです」

最後に、特に思い出に残っているエピソードを聞くと、こんな答えが返ってきた。

「着陸を諦めかけていた機長に、『この先、気象条件が好転する可能性があります』と助言して、何度目かの挑戦で着陸できたことがありました。機内のお客様はもちろん、出発を待つロビーのお客様からも、どっと歓声が上がるんです。もちろん機長の操縦のおかげではありますが、正しい助言をすることができた自分にとって、これ以上ない喜びなんです」