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冬の安全運航に欠かせない「防除雪氷作業」のプロフェッショナルたち~翼の流儀

冬の安全運航に欠かせない「防除雪氷作業」のプロフェッショナルたち~翼の流儀

ANA REPORT 翼の流儀

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「私は出身が兵庫で、井深(いぶか)は岐阜。二人とも決して寒さに強いわけではないんです。どちらかと言えば私は、寒いのは大の苦手なんですよ」

冬を迎えた羽田空港。

駐機場近くに停められていたのは、クレーンのようなブームの先に作業床が取り付けられた特殊車両「除雪車」。その前で大高俊彦(おおたか・としひこ)は、こう言って苦笑いを浮かべていた。

その言葉を聞いていた井深志保(いぶか・しほ)は、厳しい寒さへの備えを、笑顔でこう説明した。

「実際に、マイナス20度の環境下で仕事をする日もあります。ひたすら重ね着をして、手袋も2枚重ね。中に着るものも、格段に温かい吸湿発熱ウェアが必須です。それも、いちばん温かい“超極暖”グレードでないと真冬は厳しいです」

雪の降り積もる冬の空港で、街中(まちなか)ではあまり見かけることのない除雪車が飛行機の周りを走り回り、雪を被った機体に、なにやら液体を吹きかけているシーンに遭遇することがある。これは「防除雪氷作業」と呼ばれるもので冬期、航空機の安全運航には欠かせない作業なのだ。

ANAグループでは、北は北海道・稚内空港から、南は鹿児島空港まで、全国44空港で、主にグランドハンドリングや整備を担う、およそ3000人のスタッフが、この防除雪氷作業に携わっている。

そして、ANAオペレーションサポートセンター・空港サポート室・グランドハンドリング企画部に現在、籍を置く大高、井深の二人は、その防除雪氷作業の“スペシャリスト”だ。

今回の「翼の流儀」は、冬の空、その安全を守る防除雪氷作業の舞台裏を紹介する。

50代で未経験分野に挑戦、防除雪氷のスペシャリストに

「防除雪氷作業とは重量増、抵抗力増、計器誤作動の原因にもなる航空機への着雪、着氷を確実に除去し、機体をクリーンな状態にして安全に離陸できるようにするもの。雪や氷、霜が付着したままでは、翼や機体の断面形状が変わってしまって、離陸時に正常な揚力や推力を得ることができなくなるリスクがあるのです。実際に海外の空港では過去、防除雪氷作業が不十分だったことが原因とされる重大事故が発生した事例もあります。ですから、ひと冬にあまり降雪のない地域の空港でも、防除雪氷作業の準備を怠ることはできません」

安全運航を堅持するため、着雪、着氷を取り除く作業の重要性を、大高はこう力説した。

1989年、ANAに入社した大高。以来、空港旅客や経理など、事務系を主としたキャリアを送ってきたのだが……。

「3年前、現在の部署に配属になりました。当初、口頭で『防除雪氷の管理者に』と内示を受けたんです。ですが、防除雪氷って、一般的にはあまり使わない言葉ですよね。ですから、このときは正直、私自身もそれがどんなものなのか、ほとんどわかっていませんでした」

こう話す彼が“防除雪氷のスペシャリスト”と呼ばれるゆえん…、それは大高が国内でも数少ない、IATA(International Air Transport Association=国際航空運送協会)が定めるDAQCP(De-Icing/Anti-Icing Quality Control Pool=防除雪氷)監査員だからだ。この資格を持つ者は、日本でわずか9名、ANAでは2名しかいない。監査員は国内外の各空港に足を運び、防除雪氷作業が国際規格に合致した形で実施されているか、目を光らせる。

「3年前に現部署に配属され、監査員の資格取得を会社から指示されました。でも、オーストリアで実施された資格試験は、座学も実地試験もすべて英語で……。万一、受験に失敗したら申し訳ないという思いや、プレッシャーをすごく感じていました」

すでに50代を迎えていた大高。「その歳になって、改めてまるで受験生のような生活を送りました(苦笑)」と当時を振り返った。

「防除雪氷作業のマニュアルはもちろん、その運用や防除雪氷液の管理、保管のための施設、それに除雪車のことなど、防除雪氷に関するすべての事柄を頭に叩き込んで、試験に臨みました」

涙ぐましい努力は報われ、2021年、大高は無事に監査員の資格取得を果たした。監査員となって以降、大高はDAQCPの事務局に指示された国内外の空港に監査に出向いている。

「国内外の空港に足を運んで、防除雪氷作業を監査します。最近ではワシントンDCやミュンヘン、それに北京、上海、大連に、私どもはアサインされています」

いまや彼は冬季の、国内外の空の安全を担保するという重要な役割を務めているのだ。そう、大高は“スペシャリスト”になったのだ。

風が強く吹いていると防除雪氷液の散布に苦労も

「もともと、飛行機と接することができる仕事に憧れていたんです。安全に直結する中でもグランドハンドリングという仕事に魅力を感じ、志望しました」

満面の笑みでこう答えた井深は2019年、ANA新千歳空港株式会社に入社し、グランドハンドリング業務に従事してきた。

“北海道の玄関口”である、新千歳空港。そのグランドハンドリング業務に欠かせない仕事の一つが、防除雪氷作業だ。井深も入社4年目には社内資格を取得し、防除雪氷作業にあたってきた。作業の手順を井深が解説する。

「防除雪氷作業では2種類の液体、『防除雪氷液』を使います。まず、水と混ぜ、60度以上に加熱した『TypeⅠ』と呼ばれる除雪氷液を勢いよく機体に散布し、積もった雪や、張り付いた氷を取り除きます」

雪が降り続ける中での作業も少なくない。雪氷をいったん除去したとしても、出発前にまた雪が機体に降り積もってしまうこともある。そこで防除雪氷作業では、「Type Ⅳ」というもう一種の液体も使用される。

「こちらは粘性を高めた防雪氷液で、雪氷を除去したクリーンな機体や翼に散布することで、離陸時までの再積雪、再凍結を防ぐんです」

井深ら防除雪氷作業者は、ただ機体をめがけて防除雪氷液を散布しているわけではない。作業床が機体に接触しないようにすることはもちろん、効率良く防除雪氷液を散布するための高さをキープするなど、作業上注意しなければいけないポイントがいくつもある。また、機体には防除雪氷液を散布してはいけない部位もある。井深は続ける。

「さまざまなセンサー類周辺、航空機のタイヤ周り、それと機内への空気の取り入れ口……、そういったところには、防除雪氷液を散布することはできません。ですから、風が強いときは苦労します。風向きを読んで、散布したい箇所に液が飛ぶように、また、散布してはいけない箇所に液が飛ばないように、風向きに合わせた散布を行うんです。それに加えて、ベルトローダー車やハイリフトローダー車で航空機貨物室内へ搭載するお客様のお手荷物や貨物、搭載作業をおこなうグランドハンドリングスタッフ、機体点検をおこなう整備士、航空機外周点検をおこなう運航乗務員に液がかからないことにも注意しています」

防除雪氷液を散布できない箇所は、手作業でおこなうことになる。大高は言う。

「ギア周辺は専用のブラシを使って、細心の注意を払いながら、手作業で雪氷を除去することになります。寒風が吹き荒(すさ)ぶなか、実際の作業に当たっている人たちには、本当に頭が下がります」

「作業時間は、機体の大きさや、その日の天候にも大きく左右されます。もちろん、遅延することがないよう一刻も早くと思いながら作業していますが、やはりそこは安全が最優先。きちんとクリーンな機体にすることを心がけています」

言葉に力を込める井深は、仕事のやりがいをこう告げた。

「寒いなか、頑張って作業して雪氷を落として綺麗になった機体が、飛び立っていく姿を見送るときですね。無事に離陸していく飛行機を見ながら、じんわり、達成感を覚えています」

国際的な基準として色付きの防除雪氷液を導入

2023年4月。井深はANA新千歳空港からANAに出向した。

「いまは、グランドハンドリング企画部で大高さんをはじめとする防除雪氷ユニットの仲間と一緒に仕事をしています。防除雪氷に関しては全体の管理や企画……、たとえば、弊社の海外空港所における、防除雪氷作業の体制確認をおこなったり、規程の修正を図ったり。とくに最近は、有色化される防除雪氷液について、発表までの体制構築などにも携わりました」

今年度から、ANAは色のついた防除雪氷液の使用を始めている。大高が説明する。

「2018年に有色の防除雪氷液が国際的な基準として制定されました。じつは欧州や米国では、以前から色のついた防除雪氷液が使用されています。有色になることで、散布された範囲がわかりやすくなると思います。『Type Ⅰ』はオレンジ色で、『Type Ⅳ』は緑色です。今年度は新千歳・成田・羽田・中部・関西の5空港で、来年度はそのほかの空港でも順次、有色の防除雪氷液に切り替えていきます」

大高の説明を、隣で頷(うなず)きながら聞いていた井深。彼女には、現在、大きな目標があるのだ。

「今年度、大高さんと同じDAQCP監査員の資格を取りたいと考えています。いま私は、上司や先輩たちに教えを乞(こ)いながら、監査員試験に向けて勉強中です」

順調に進めば、現在としてはANAで3人目の監査員が今冬には誕生することになる。「試験勉強でつらくなったときは、今回の翼の流儀を読み直して頑張りたいと思います」

撮影 水野竜也 
取材・文 仲本剛