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「意欲のある誰もが働ける社会をつくりたい」特例子会社で働く人たち~翼の流儀

「意欲のある誰もが働ける社会をつくりたい」特例子会社で働く人たち~翼の流儀

ANA REPORT 翼の流儀

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「弊社では障がいがあることが当たり前。むしろ障がいがないことがマイノリティ(少数派)なんです(笑)」

取材冒頭、スーツ姿の男性は、そう言って朗らかに笑った。

男性の名は俣野公利。ANAウィングフェローズ・ヴイ王子(以下・AWO)のUniversal Standard Consulting(USC)事業部長として、ユニバーサル対応に向けた課題解決に取り組んでいる。

今年、創立30周年を迎えたAWOは、ANAグループの「特例子会社」だ。

特例子会社とは、障害者雇用促進法に基づき認定されるもの。一般的な企業と比べ、障がいや特性に対するサポート環境が整っているところが多く、障がいの程度に関係なく働くことが可能とされている。法令に基づき、企業は全従業員中、一定の割合(現在は2.3%)で障がいのある人の雇用義務があるが、厚生労働大臣の認可を受けると、特例子会社で雇用された障がいのある人を、親会社で雇用しているとみなし、法定雇用率に算定できる。

「私どもAWOは約85%の社員が、なんらかの障がいがあります」

俣野自身も腎臓機能に障がいがある。生涯にわたり週3回、1回約4時間から5時間を要する人工透析を欠かすことができない。

「私自身は治療のための時間的制約がある以外、健常の社員と変わらない仕事ができると自負しています。また、私の部署にいる車椅子利用の社員は、動き回ることに少々の不自由はあっても、パソコンのスキルは誰よりも高い。視覚に障がいのある社員は、読み上げソフトを活用し、私には聞き取れない速さの音声を聞き取り、パソコンを操作するなど、それぞれが特性を活かし、仕事に励んでいます。法定雇用率という『数字』はもちろんありますが、数合わせでここにいる社員は一人もいません。全員が戦力、それがAWOです」

栄転直後に発病し、仕事の第一線から退く

「透析治療を開始したのは35歳のときでした。そのとき、まっ先に頭に浮かんだのは、自分が平均寿命をまっとうできたとして『この先50年間もこんなつらい治療を受け続けないといけないんだ』ということ。そして、治療に多くの時間を取られる以上、もう普通の人と同じように仕事をすることはできないと。それは一種の絶望感でした」

当時、俣野は情報処理会社の営業職をしていた。大阪支店で頭角を現し、横浜にある本社に栄転した直後、病魔に襲われた。原因不明の倦怠感に加え、視力が急激に低下したという。

「眼科を受診すると、内科に行くように言われ、内科を受診すると今度は、もっと大きな病院を勧められました。結果、医師からは『これから人工透析という治療を開始します。一度、始めたらやめることはできませんが、受け入れられますか?』と説明されました。なにを言われているのか、すぐには理解できませんでした。ただ『命に関わること』とも告げられ、事態を飲み込めないまま、人工透析を開始しました」

人工透析を始めた彼に、会社は十分と思える配慮を示した。俣野の負担が少しでも軽くなるよう、実家のある大阪へ、改めて異動を指示。そして支店内に時間的融通のきく「業務課長」という新たなポストも用意してくれた。

「いま振り返っても、本当に私を心配し、考えてくれていたと思います。当初は自分も仕事を続けられる喜びが大きかった。自分の経験を後輩たちに伝えるなどして会社に尽くしていこうと、前向きに捉えてもいたんですが」

しかし、営業の第一線で活躍してきた彼は、徐々に疎外感や敗北感を覚えるように。

「当たり前なんですが、営業会議には呼ばれなくなりました。かつて、業績を上げるよう厳しい言葉をかけられてきた役員からは、体を労られるばかりに。そして、私の日常といえば、新人時代にやっていたようなデータ入力の仕事が主になって。『もう自分は戦力外、お情けで会社に置いてもらっているだけ』と、そんな気分に陥っていきました」

働きがいを見失いつつあった俣野は、出身大学が社会人向けの大学院を開いていることを知り、藁にもすがる思いで通いMBAを取得した。並行して透析患者の集まる患者会の事務局の手伝いも始めた。

「同世代の患者と知り合えたことで『自分は決して一人じゃない』と救われた思いでした。それに、大学院で学んだ経営学を活かし、会員が減少傾向にある患者会を立て直したいという思いにも。そんななか、患者会近畿ブロックのリーダーから『東京にある全国組織で一緒に働かないか』と誘われたんです」

2010年、俣野は20年以上勤めた会社を辞し、上京。患者会事務局に転職した。

できないところはそれぞれカバーし合う

患者会事務局に5年ほど勤めたのちの2015年、俣野の姿はハローワークにあった。

「転職活動時、ハンディキャップを痛感するようなことはありませんでした。ただ、『障害者手帳を持っている人には、専用の窓口がある』と聞いていたのですが、実際に行ってみると、健常者との窓口が分かれていることに、多少の違和感を覚えました」

ここで彼が見つけたのが、AWOの求人だった。

「求人内容はAMCセンター。マイレージクラブ会員のお客様の、マイル情報などの管理が主な仕事。これなら以前の会社での経験が活かせると思ったんです」

働き始めてみると、AWOはとても働きやすい職場だった。「以前は、人工透析のため早退をすることに、どことなく後ろめたい気持ちを持っていました。でも、弊社には『透析時短制度』というものがあった。制度としてすでにあるものを利用するだけなので、後ろめたさもない。精神的にはとても楽でした」

先述したように、障がいのある多くの仲間がいることも、気持ちを軽やかにしてくれた。

「皆さん、なんらかの障がいがあって、ある意味カバーし合わないといけないんです。今日も、視覚に障がいのある同僚が『パソコンが動かない、ちょっと見てください』と。そのように、見ないとわからないところがある場合は、誰かが彼の目の代わりをする。いっぽうで私が人工透析で早退したあとのことも、きっと、別の誰かがカバーしてくれている。できないところは誰かがカバーするということが当たり前の職場です。だから、以前感じたような疎外感を覚えることは一切ありません」

俣野はこう続ける。

「弊社は、障がいのあるなしにかかわらず、全社員を貴重な戦力だと考えています。マイレージクラブという、グループ内でも重要な位置付けの仕事を任されている点一つを取ってもわかると思います。弊社では『障がい者でもできる仕事』とは言いません。『障がいがある人ができる仕事を作り出していこう』というスタンスなんです。AWOは多くの管理職が自社の社員。私を含め、なんらかの障がいのある社員が所属長を務めています」

現在、俣野はUSC事業部の部長を務めている。繰り返しになるが、約85%の社員が障がいがあるのがAWOの強みだ。

「その強みを活かし、私たちの経験や知識、それに航空会社ならではのおもてなしの実現のために客室乗務員も在籍し、『広くユニバーサルな社会を構築していこう』というのが、私たちUSC事業部のコンセプトです。具体的には、ホテルなどユニバーサルなサービスを目指す企業には、ソフト面を磨くために接遇講師として実践的なアドバイスを行います。また、障がい者雇用を推進したいという企業には、当事者である私たちが出向き、働きやすい環境が整っているか確認します。例えば、私の同僚が実際に車椅子でその企業の廊下を通って『現状のスペースだと転回は難しいです』などの報告を上げるわけです」

各分野で人手不足が大きな課題となっている日本。そのためにも昨今、ダイバーシティ(多様性)やインクルージョン(包括・包含)、エクイティ(公正性)の重要性が叫ばれている。日本社会は障がいの有無にかかわらず、誰もが働きやすい環境を整えていく必要に迫られているのだ。

「ええ、ニーズはより高まっていくと思います。現状、法定雇用率は2.3%ですが、今後3年間で段階的に2.7%まで引き上げられることも決まっています」

入社後、俣野は一時期、人事の採用を担当したこともある。

「障がいのある人を雇用する企業側には、合理的配慮が求められています。ですが、合理的配慮への理解が十分ではない障がい者もなかにはいます。健常者が『10』できるところを、障がいがあるために『8』しかできないとします。その場合、障がい者本人が『8』の部分をもっと頑張って総合的には『10以上』まで伸ばしたい、と能動的かつ意欲的に思えることが大事。企業側が求められているのも、その人が能力を最大限発揮できる環境を整えてあげることで、それこそが、合理的配慮だと思うんです。できないところに目をつぶることではないと思います」

取材の終盤、少し遠くを見つめて、俣野はこう打ち明けた。

「本音を言えば、法定雇用率や特例子会社といった枠を意識することなく働ける世の中が来ればいいと思っています。理想論かもしれませんが、障がいがあっても、意欲のある誰もが働くことができる、そういう社会が実現してほしい。そこに一歩ずつでも進んでいくために、私たちも微力ながら仕事を続けたいと思っています」

撮影/水野竜也 取材・文/仲本剛