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「ボーイング 767」が就航40周年。歴史を作ってきた名機を語り尽くす~翼の流儀

「ボーイング 767」が就航40周年。歴史を作ってきた名機を語り尽くす~翼の流儀

ANA REPORT 翼の流儀

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「改めてこうして見ると、やっぱりいいですよね、かっこいい」

パイロットの制服に身を包んだ男性が、表情を緩めながらこう呟くと、隣の整備服姿の男性も「我が意を得たり」とばかりに何度も深く頷いてみせた。

成田空港の格納庫。今年6月、就航40周年を迎えた。ボーイング767(以下、B767)の機体を仰ぎ見る二人の表情は、じつに嬉しそうだった。

初の二人乗務を可能とし低燃費、低騒音を実現。「ハイテク機」とも呼ばれたB767がANAグループに導入されたのは1983年のこと。以来、第一線で活躍を続けているのはもちろんのこと、自然災害発生時の臨時便や、コロナ禍の中国・武漢からの現地邦人救済便など、数々の重要なフライトを担ってきたのも、このB767だった。

今回は、その就航40周年を記念して、機長の山西賢志と、整備士の猪嶋順、長くB767運航に関わってきた二人による対談をお送りする。

「初めて集合計器を見たときに感動した」

山西:私は1994年にB767で副操縦士への昇格、任用試験を終えました。最初に乗った飛行機が、まさにB767でした。ですから、非常に思い入れが強い。「私はこの飛行機でお客様を乗せて空を飛ぶんだ」と、強く思ったことをいまも鮮明に覚えています。

猪嶋:そうですか。じつは私も、最初に一等航空整備士の国家ライセンスを取ったのが、B767でした。

山西:私は現在、1万4千時間ほど、フライトタイム(飛行時間)がありますが、そのうち1万時間以上がB767なんです。ボーイング747(以下B747)や、トリプル(ボーイング777、以下B777)の資格も取ったのでそれらにも乗りましたが、数年前、またB767に戻ってきました。「やっぱり、B767はいいな」と改めて思いましたね。

猪嶋:私も、さまざまな機体に関わってきましたが、いまでもB767がいちばん好きですね。仕事を始めた当時は、すごくハイテクな機体だな、そう思って接していました。

山西:そうですよね、「ハイテク機」と呼ばれていましたよね。

猪嶋:はい。最近はそんなふうに呼ばれることは少ないと思いますけど(苦笑)。当時はコックピットも、アナログの計機がびっしり並んでいたものが、このB767からCRT(カソード・レイ・チューブ=情報を伝えるデジタル装備品の総称)ディスプレイに集約されて。

山西:そうでした。それまでの訓練で乗った飛行機はアナログ計器が並んだ機体でしたが、初めてあのCRTの集合計器を見たときは、感動しましたよ。

猪嶋:整備の面でも、従来の機体は、ライトや音で不具合を知らせていたのが、B767からは不具合を示すメッセージが、そのディスプレイに表示されるようになって。どんな不具合が起こっているのかが一目でわかるようになった。劇的なテクノロジーの進化を実感したのが、このB767でした。

重要な局面に関わった「信頼と実績のB767」

猪嶋:話は変わりますが、私はハワイの整備駐在員になるのが長年の夢だったんです。

山西:ホノルルはパイロットにとっても憧れのステイ先です。

猪嶋:ですよね。私のB767との思い出のエピソードは、40代になって間もないころ、定期整備(一定の飛行時間が経過した機体に対し、格納庫にて規定に定められた点検、品質確認を行う整備)の部署で働いていた私に、急遽「ハワイに行ってほしい」という指示が出たんです。

山西:なにか、あったんですね。

猪嶋:はい、ホノルル発成田行きの便に使用するB767に、現地で不具合が発生したんですね。それで、羽田での昼の勤務を終え、夜の便でハワイに飛び、現地で朝から整備作業に取り掛かりました。

山西:それはたいへんでしたね。

猪嶋:当該の成田便は、24時間の遅延に。搭乗予定の大勢のお客様がターミナルでお待ちになっていました。そんな状況の中、プレッシャーも感じながらの作業。それが、憧れのハワイでの、最初で最後の整備でした。

山西:やっぱり、とんぼ帰りですか?

猪嶋:はい。作業後、食事のためにごく短時間、空港を出ただけです。でもそんな、ちょっとたいへんな出張も、振り返ればB767とのいい思い出です。山西さんはB767での印象深いフライトにはどんなものが?

山西:そうですね、それこそ数えたらキリがないぐらいあります。もっとも印象深かったのは2020年、ミャンマー・ヤンゴンへの救済便ですね。

猪嶋:クーデターが起きた後の?

山西:そうです。クーデターが起こった日まで、ANAはB767で毎日ヤンゴンへ運航していました。クーデターが勃発して、翌日から運休に。でも、現地にはまだ日本人が大勢残っていたので救済便を運航することになったんです。全部で数便飛びましたが、そのうちの一便を、私が担当しました。

猪嶋:やはり、通常のフライトとは違う難しさもありますよね。

山西:ええ、現地ヤンゴンでは給油ができない状況でした。成田―ヤンゴンの往復は燃料が足りずに飛べない。そこで、給油のため那覇に立ち寄るルートを選んでいました。ところが、私が乗務する便に限って、台風が沖縄に近づいていたので、それもできなくて。そこで関西空港に立ち寄って給油し、中国上空経由でヤンゴンまで飛びました。

猪嶋:イレギュラーなことだらけで、ご苦労されたんですね。

山西:はい、でもそれ以上にこういう大切な乗務を担う機会に恵まれたことに感謝の思いでした。無事にヤンゴン空港に到着して現地のスタッフの方の苦労話を聞いて、迎えに来ることができて良かったと、心から思いました。

猪嶋:たしか、コロナ禍の中国・武漢への救済便もB767でしたよね。

山西:はい、そうです。そのほか、要人の外遊のためのフライトに、B767が指名されることも少なくありません。かつては、北朝鮮の拉致被害者の方々のお迎えもB767。そういう重要な局面では、B767が関わることが、本当に多かった。

猪嶋:それはやっぱり、長年の実績があるからでしょうね。整備士の立場から見ても、B767はすごく安定している印象がありますから。

山西:そうですよね。40年も飛んでいる機材ですから技倆、伝承の積み重ねがあります。整備士のみなさんもあらゆる事態に対処してきたノウハウをたくさん持っていますよね?

猪嶋:はい。いまではもう、決して最新鋭の機体ではありませんが、長く飛んできたメリットって、そこかしこにありますよね。

山西:そうですね。まさに、信頼と実績のB767ですね。だからこそ、重要な局面を任されてきたんです。

できるだけ長く、飛んでいてほしい

猪嶋:そんな輝かしい実績を持つB767ですが、扱える整備士の数も減りました。ANAでは新人が国家資格を新規で取る際、その機材が我々の時代はB767だったのが、いまはB777になっています。もちろん、限定変更という形で、B777の資格を先に取ってから、B767に移行もできるんですが、決して多くはない。結果、B767を触れる整備士も、かなり減ったんです。私のことはともかく、そういう整備士は職場では『あの人はB767を触れる』『B767世代の整備士』と言われたりもします。

山西:なるほど。とはいえ、使用している機材としては最新鋭のB787(ボーイング787)やB777、B737、それにエアバスもありますから、ANAの飛行機全体では少数派ですよね。それでも、私は長く乗ってきて、やっぱりB767が大好きです。この先もできるだけ長く、B767で飛びたい、そう思っています。

猪嶋:私も自分の整備士人生の基礎になっている機体ですから。B767の資格取得後にエアバスA320にB747-400、B777と、4つの機材の国家資格を取りましたが、どの飛行機と接するときも、常にB767と比較するようにしてシステムも勉強してきたんです。

山西:それ、わかります。私もそうでした(笑)。

猪嶋:そうですよね。ですから、そんな思い入れの強いB767には、この先も、できるかぎり長く飛んでほしい。そしてもちろん、自分が先にリタイアしたい(笑)。

山西:あははは。それは私もそうです。そして将来、B767が日本の空をもう飛ばなくなるというそんなニュースに触れる時がきたら……、きっと感慨を覚えるんだろうと思います。

猪嶋:そのときは私、きっと空港に足を運ぶと思います。B767への感謝を伝えに。

撮影/加治屋誠 取材・文/仲本剛