メインコンテンツにスキップ
飛行時間は2万3千時間…ベテラン CA「業務の流儀」~翼の流儀

飛行時間は2万3千時間…ベテラン CA「業務の流儀」~翼の流儀

ANA REPORT 翼の流儀

share

「長く仕事を続けてきて学んだことは、多くの部署や、さまざまな人が関わって、ひとつのフライトが作り上げられているということです。そんな大勢の人たちの苦労の末のフライトで、お客様と長い時間、接することができる私たちは、ある意味『役得の多い仕事』をさせていただいているのかもしれません」
 客室乗務員(以下CA)の前田早紀子はこう話すと、柔らかな笑みを浮かべてみせた。
 総勢8千名を数えるANAのCAたち。今回は、その8千名を代表して、1991年4月の入社以来、31年の長きにわたって国内外の空を飛び続けてきた彼女が語る、〝乗務の流儀〟。

数年で辞める可能性もあった

「きっかけは……あの有名なテレビドラマ、『スチュワーデス物語』なんです(苦笑)」
 CAを志望した動機を尋ねると、前田は少し照れくさそうにこう打ち明けた。
 新潟出身の前田。幼いころはCAという仕事はもちろんのこと、飛行機すらも、あまり身近な存在ではなかったという。
「それで、中学生ぐらいですかね、あのドラマを見て、初めて『こんな素敵な職業があるんだ!』と知ったんです」
 淡い憧れを抱いたまま、東京の大学に進学。就職活動を始めるにあたって「試しに受けてみようかな」と門を叩いたのが、ANAだった。
「就職試験は大変でした。私は人と話すのが苦手だったので、とくに面接は苦労しました。でも、バブル期で、時代の恩恵というのもあったのでしょうか、無事、内定を獲得できたのです」

 こう前田は謙遜するが、当時、CAはいま以上に憧れの職業だった。だから、本人よりも周囲が色めき立った。
「入社してすぐの新入訓練飛行のとき、両親が新潟からわざわざ上京してきまして。成田発シドニー行きの訓練便に乗り込む私を見送りに、空港まで来たんです。こちらは緊張感いっぱいなのに、少し離れたところで父がカメラでパシャパシャと。その向こう側では、母が涙ぐんでいるのが見えました(苦笑)」

 微笑ましくも温かく、愛情豊かな両親に送り出されて〝第一歩〟を踏み出した前田。訓練後は成田支店に配属され、国際線の乗務を開始。3年後の1994年には、客室の責任者であるチーフパーサーの資格も取得。CAとして順調にキャリアを重ねていた。
「でも、本当のことを言うと私、早々に退職するつもりでいたんです。じつは、就職前にすでに婚約していたんです。だから数年間、仕事を経験したら退職して、家庭に入るつもりでした」
 いまや、死語になりつつある「寿退職」という言葉が、まだまだ普通に使われていた時代。彼女の先輩にも、結婚を機に職を離れるCAが少なからずいた。
「でも、私はどんどん仕事が面白くなってきていました。ファーストクラスを担当する資格や、チーフパーサーの資格も取ることができて。いろんなサービスのやり方を覚えました。やりがいや、フライトごとの達成感も覚えるようになってきました。

 でも、同時に『あのお客様には、もっとこうして差し上げればよかった』といった反省も日々、あって。いま辞めてしまったら、きっと後悔する、そう思うようになっていったんです」
 果たして、彼女はその後も乗務を続けた。
 キャリアの途上では、思うように対応ができず、ギャレーで人知れず涙をこぼしたこともあった。いっぽうで、乗務後に届いた温かな感謝の手紙や励ましの言葉に、胸が熱くなる経験もした。
「降機されるお客様から笑顔で『すごく、くつろげました』とか、『楽しいフライトでした』といったお言葉をいただいたときは、達成感を覚えますし、この仕事を続けてきて本当に良かったと思うんです」
 こうして前田は、気づけば今年、CAとして32回目の春を迎えていた。

「小さな気づき」を共有し合う

客室の責任者であるチーフパーサーとしての時間を長く過ごしてきた前田には、培ってきた信条がある。それは「クルー一人ひとりが力を発揮してこそ、いいフライトができる」という思いだ。
「私たちCAはチームで動いていますから。それぞれのクルーがパフォーマンスを最大限に発揮できる環境を整えることも、チーフパーサーの大事な役目だと思っています。国際線は乗務前にデスクに集まって事前に打ち合わせをする機会がありますが、国内線はいま、搭乗口前に集合して、そこで初めて会う、ということも少なくない。そんななかで、クルーが過度な緊張をしていないか、何か問題を抱えていないか、早い段階でキャッチするよう努めています」
 同僚たちが100パーセントの力を発揮できるよう、前田には心がけていることがある。それは、CAたちを萎縮させないために、チーフパーサーとはいえ、必要以上に偉ぶらないこと。
「私自身、かつて怖い先輩の前で固くなってしまったことがあったので。もちろん、安全運航のためには厳しさも大事。でも、過剰な厳しさは逆効果だと思うので、基本的にはそれぞれのクルーのパフォーマンスを引き上げるためのアドバイスを送ることに徹しています」
 客室の通路。CAたちは漫然と歩いているわけではない。
「短い距離を歩くなかで、どれだけ周囲に目を配れるかが大事なんです。お客様がお休みになっている時間も、暑そうにされている方はいないか、お目覚めの方はいないか、などちょっとした変化を見逃さないことが重要。これは安全の面でも大事なことで、たとえば座席の肘掛けにちょっとした故障があるのを見逃したばかりに、次の便のお客様が怪我をしてしまう、なんてことにもなりかねません」
 その小さな気づきを、きちんとチームに共有するためにも、前田は「雰囲気作りが大切」という。
「クルー同士が気兼ねなく、気づいたことを伝え合える環境がなければ、どれだけ注意深く客室を見ていても意味がありません。ですから、とくに私のような立場の者が偉ぶって、クルーを萎縮させるようなことがあってはいけないと思っています」

搭乗客の声を直接受ける立場

 入社以来、2万3千時間超を機上で過ごしてきた前田には、東日本大震災で被災した福島の子どもたちを招待した遊覧飛行など、忘れ難いフライトがいくつもある。
 なかでも、とくに印象深いのが2019年、ANAが満を持してホノルル便に就航させたエアバスA380型機の最初のフライト。機体にはハワイの海を泳ぐウミガメをイメージしたペイントが施され「FLYING HONU(フライングホヌ、以下ホヌ)」の愛称で知られる、総2階建ての超大型機だ。
「ホヌの初便で、私はチーフパーサーを務めました。520人乗りという大きな機材の最初の便という緊張感もありましたし、お客様の期待もとても大きかった。そして、いろいろな部署の大勢の社員が関わって、この初便が飛ぶということも実感できました。すべてが印象的でした」
 常夏のリゾート地へ飛ぶホヌ。客室の通路を虹色の照明が照らし出すことでも知られている。
「フライト前には、その虹色の照明についても、資料を念入りに調べました。日本で虹は7色といわれていますが、ホヌの客室照明はハワイの伝説に則って6色なんです。そのことを機内でアナウンスしたところ、お客様はもちろんですが、乗っていた整備スタッフたちがすごく喜んでくれて。『自分たちが準備したことを紹介してくれてありがとう』と」
 冒頭で「私たちCAは『役得』」と話していた前田。だからこそ、の思いがある。
「お客様との接点の少ない、多くのANAスタッフの思いも、私たちCAがきちんと代弁していきたい。常日ごろ、そう考えながら乗務しています」
 逆もまた然り。運航全般に関する搭乗客からのご意見を真っ先に受け止めるのも、彼女らCAだ。
「ホヌの初便、成田発、ホノルル行きのフライトでは、限定の記念グッズを機内販売したのですが……。想定以上のお客様がお求めになられて、用意した数ではまったく足りない事態になって。多くのお客様に残念な思いをさせてしまい、数名の方からはご意見を頂戴しました。私は乗務後、そのことをレポートにまとめ、社内で共有することにしました」

報告を受けた担当部署は、すぐに動いた。本来は機内でしか買えないグッズを、搭乗の履歴を確認できれば、降機後にネット注文できる体制を整えた。
「帰りの便では、初便でもお会いしたお客様が乗っていらして。グッズの件を改めてお詫びすると『すぐにネットで買えるようにしてくれて、さすがANAさんね』という嬉しい言葉をいただくことができたんです。お客様の声を伝えたことで、担当部署の人がお客様の気持ちに寄り添ってくれたことが、すごく嬉しかった。お客様の声をきちんとフィードバックするのも、私たちCAの大事な仕事と、改めて感じた出来事でした」


 2020年、世界は新型コロナウイルス感染症のパンデミックに襲われる。前田が「印象深い」と話したホヌも、就航から1年足らずで運休を余儀なくされる。それは、前田にとっても初めての経験だった。
「私はSARSによる混乱も経験しています。あのときもお客様がとても少なくなってしまったんですが、今回のコロナ禍のように長い期間、フライト自体がなくなるというのは、初めてのことでした」

 2020年夏。もう長らく翼を休めていたホヌが、ここで人々に一筋の光を届ける。
 同年8月、ANAはホヌを使ってハワイ旅行の気分を味わえるチャーターフライトを実施したのだ。成田発、成田行きのその便でも、チーフパーサーを務めていたのは前田だった。
「東京オリンピック・パラリンピックも延期され、海外旅行なんてもってのほかという、重苦しい空気のなかでの遊覧飛行でした。少しでもお客様にハワイ旅行の気分を味わっていただきたくて、スタッフはアロハシャツを着用し、機内の安全ビデオもホノルル便と同じものを流しました」
 搭乗客の評判は上々だった。
「『憧れのA380に乗れて嬉しかった』『ハワイ気分を楽しめました』など、飛行機を降りられるお客様は、みなさん一様に嬉しそうな笑顔でした」
 搭乗客を機内から見送っていた前田の前で、一人の女性が足を止めた。そして、彼女に向かって思いを告げる、その目には涙が光っていた。
「また、いつか、ハワイに行きたいわね。だから、それまで頑張ってね!」
 そのシーンを述懐する前田の目にも光るものが浮かんでいる。
「そんな応援の言葉までいただけるとは思ってもいなかったので……。そのときも私、思わず涙ぐんでしまいました」
 そして彼女は、ここでもう一度、背筋を伸ばし言葉を続けた。
「コロナ禍の3年間を経て、お客様のニーズがすごく多様化していることを改めて感じています。心底、旅行を楽しみたいと考えている方もいれば、まだまだ感染を気になさっている方も当然いて。私たちCAは、いままで以上にお客様それぞれのご様子をしっかり見て、それぞれが求めているものに応じていかなければいけないと、強く思っています」
 最後に。少し失礼とは思いつつ、「この先、いくつまで飛び続けますか?」と尋ねた。すると彼女はインタビューの最初と同じような柔らかな笑みを浮かべて、こう力を込めた。
「そうですね、体力と、それに記憶力、その2つが衰えず、ほかのクルーに迷惑をかけずにいられるのであれば、できることなら定年まで頑張りたいです」

撮影/加治屋誠 取材・文/仲本剛